ウソのようなホントの話がまとまる。クロアチア大統領が、一人の日本人武道家に面会を熱望。 【南武道 追想】

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スティエバン・メシッチ

フランス在住の武道家 南部義尚氏、今年の4月に77歳で永眠された。渡仏し半世紀、武道家一筋の人生に終止符がうたれた。大学を卒業と同時に、フランスの空手道場の招聘で渡仏し、各道場の師範代として活躍された後に、独自の武道流派「南武道」を創設。ヨーロッパ全域、北欧、東欧、アフリカ等の諸国に南武道が拡大されていった。現在は、フランスを中心に各諸国で道場が運営されている。

ちょうど15年前に、南部氏の故郷神戸に日本支部を開設しようと、世界連盟の方々と訪日された。その神戸で、友人に誘われデモンストレーションを観に行った。それをキッカケに南部氏とのご縁が生まれた。
長いお付き合いの中で、数々の思いがけない出来事や体験をさせていただくことがあった。その一つを紹介させていたくとー


それは、通常では経験することのない予想外の出来事だった。日本支部の活動が始まった3年後の2008年の年が明けて間もないころ、クロアチア共和国の日本大使館からの一本電話で事が始まった。

七つの国境、六つの共和国、五つの民族、四つの言語、三つの宗教、二つの文字、一つの連邦国家。といえば、東ヨーロッパの国として栄えた「旧ユーゴスラビア」。
日本には少し馴染み薄い地域であり国である。そのユーゴスラビアから1991年に独立した国がある。それがクロアチア共和国。
この年はたしかソビエト連邦が崩壊した年でもある。ソビエト、ドイツなど東ヨーロッパが一大変革で国が崩壊した時代である。変革に大きな犠牲が伴った地域も少なくない。その一つがユーゴスラビア。そのユーゴから独立したのがセルビア、スロベニア、モンテネグロ、マケドニア、コソボ、そしてクロアチアなどが単一国家としてスタートした。

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左側の写真 / 神戸の日本南武道メンバー 右側の写真 / クロアチア・メシッチ大統領(当時は議員 右端)

2008年1月の、クロアチア共和国の日本大使館からの電話では、クロアチアのスティエバン・メシッチ大統領(当時)が春に日本を訪問されるということの連絡だった。その訪日と我々日本南武道とどうかかわりあるのか、という奇々怪々な事であった。何度となく電話でのやり取りをした中で、大使館員は、「大統領が訪日の際に、南武道道場を視察したい」と言っているので、ということだった。
私は、驚くというよりは “ウソだろう” と心の中で叫んだ。と同時に、視察していただく立派な道場はない。神戸の神社の社務所の二階を借りて数人で稽古をしている程度なのだが、という趣旨の説明をさせていただいた記憶がある。
それでも、大統領は武道の聖地日本、まして南武道道主の生誕地であることから訪問を強く希望されていたようだ。最終的に、日本の外務省とのスケジュール調整で神戸を訪問することは実現しなかった。

さらに後日、大使館から電話があり、大統領が「道場視察が叶わないなら、ぜひ南部道主に会いたいと言っている」と伝えられた。一国の大統領が個人的意向としても事の重大さが時間を追うごとに膨らむ。早速、私の判断ではどうしようもないので、パリの南部道主に電話し、事情を伝えた。道主は、「もし、謁見することが決定し、そのスケジュールが決まれば、日本に行く」という答えをもらった。
その意向を踏まえ、再三再四大使館との調整で、大統領の訪日中の2日目の夜の歓迎晩餐会パーティーにお招きいただくことになった。さらに、驚愕の謁見スケジュールが伝えられた。それは、膝を突き合わせての謁見である。その時間がとれるのは、歓迎パーティーの翌朝の朝食の1時間。「一緒に朝食をとりたい」ということだった。

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神戸道場 南部道主とメンバー スイスから来日している女性指導者エミーナ先生

南武道はヨーロッパで生まれヨーロッパで大きく育った武道である。クロアチアも非常に熱心で道場もお弟子さんも愛好家も多い。メシッチ大統領もお弟子さん(当時国会議員)の一人だったようである。それにしても大統領の、南部道主への信望の厚さを感じざるを得ない。そんな絆が長い年月に培われ育まれた。そのウソのようなホントの話がまとまろうとしていた。
(つづく)

レポート & 写真 /  渡邉雄二

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